メリー・ポピンズを観た(1964)
鑑賞動機
バイトの先輩がおすすめしていたので鑑賞。「くまのプーさん 完全保存版」を観ると泣くという話から、その先輩にとってのそういう作品を教えてもらった。「ハロー・ドーリー!」の5年前の作品らしいが、舞台の作り方や人の数などのリッチさが似ていたので納得がいった。「西部戦線異常なし」の後に観たので味が舌に残っていた可能性がある。
感想
ディズニーの作ったボボボーボ・ボーボボと言われても違和感がない。カレーとラーメンと唐揚げとオムレツとビーフシチューを混ぜたような感じがする。プーさん(完全保存版に限らずプーと大人になった僕も含む)と同じように、「大人の世界は子供の時にはあった宝物が見えなくなってる」という構造は一致していた。ただ、だいぶ子供の味付けがされているというか、笑わすシーンの熱量がとんでもなかった。笑って空中に浮くおっさんのシーンの撮影が、表情筋と精神の両面から大変そうだと思った。
初っ端の海軍総督の癖のついているお爺さんを見てしまったせいか一緒にハジけられなかった。「西部戦線異常なし」で、銃声を聞いてパニックになってる人を見てしまったので、このお爺さんも子供向けではおもしろ老人くらいにしか思われていないが、実際はそういう強迫観念のある人なのかなと勘繰ってしまったりした。「ハロー・ドーリー!」のドーリーと同じく周りを明るくする力のある女性主人公でかなり似たものを感じた。こちらは少し大人向けかと思ったが、ジョージの勤める銀行のシステムや解雇のくだりで急に対象年齢が10歳くらい上がったので、どちらも「よちよちの子でもわかりはするが、なんとなくでも話の深みを味わえるのは小学校高学年くらい」というような作品だろう。これはもしかしての話だが、「ハロー・ドーリー!」では主に掃除人や楽団に黒人がいたのに、この作品では全く触れられなかったのは、やはり公民権運動の影響が二つの作品の間にあったからなのだろうか?真相はわからないが、当時ならば下っ端煙突清掃員で出てきてもおかしさはないのに全く出ないというのは、人種の隔てのないとされる現代を生きる私にとっては若干不自然に思えた。
また、本編自体が結構長く感じた。ミュージカル特有の冗長さはどうしようもないにせよ、説明が若干くどいように思えた。ペンギンダンスが長かったり回転木馬で移動するシーンが長かったり、視覚的に楽しいところをじっくり見せているからなのだと思う。「2001年宇宙の旅」の冗長さとはまた違ったものだ。この冗長さは計算されている、すなわち同じモチーフの扱い方や演出が意図的になされているので、考察の余地がたくさんあった。この作品が考察できないものしかないのかといったら、それは異なる。実写と動物(時に人物)のアニメーションを織り交ぜる試みとしては面白かったと思う。のちに「ロジャー・ラビット」で逆転する関係がここには現れている。アニメーション側の、実写側への不気味なほどの信頼が見ていて面白い。じきに「ロジャー・ラビット」も観たいと思う。
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