西部戦線異常なし(1930)を観た
鑑賞動機
もう一年頑張れることが決まり、ずっと観たかった「西部戦線異常なし」を映画で鑑賞。赤点や平均以下が続いていた世界史の授業で一度この作品の名前を耳にしたことがある。その時は、この作品の魅力や話のあらすじを微塵も知らなかったのに、なんだかかっこいいと思って嬉しくなった。多分、予備校でこういう作品に触れることがあったので優越感を感じていたのだろう。(「博士の異常な愛情」の時くらいから、グロテスクだけどリアリティーのある戦争の話をいつかしっかりと聞きたいと思っていた。最終的には「本当の戦争の話をしよう」の時に生半可な覚悟じゃいけないんだと知ったものの。)感想
この作品を観てて何度も出てきたのは、「ここのシーンはもっと勉強しておけば何百倍も面白いんだろうなあ」という思いだ。塹壕戦、敗戦まっしぐらのドイツ、戦争中の特殊な高揚感、とんでもない量の死者数、なんとなくの敵味方の図くらいしか頭になかったことが大変悔やまれる。「帰ってきたヒトラー」の容赦ない版のようだった。第二中隊がどんどん減っていく過程の合間に、戦闘のシーンや束の間の休息の会話のシーンがあったが、そこでの人の動きや会話中の皮肉っぽいところがわかったならば、もっと絶望感を感じながらその様子を見守れたのだなと思う。それ故に、中盤あたりから見えるポールの視点や思考を追いきれなかった自分が悔しい。子供相手に命の大切さを説いて理解されないシーンや、すれ違う家族とのシーン、戦争に行かない一般市民とのすれ違いのシーンは、「本当の戦争の話をしよう」でなんとなく聞いた話なので同じことを言っているなと思ったが、いかんせんそれよりも前の作品だから、きっと原点とも言えるべきオリジナリティがあるだろうにと思った。
そして初っ端でやられたベームから、「フランダースの負け犬」を思い出した。あの作品はこれを読んだからできたようなものだと作品紹介に載っていた気がする。あの劇は多少コメディ寄りにアレンジしてあるにしろ、100%はわかりえない中でも感じる面白さのようなものは、戦争に特有の高揚感と似ているような気がする。単純な敵味方構図を感じるからだろうか。鑑賞動機の「なんだかかっこいい」も、非日常のスリリングな戦争というものに引っ張られているように思えてくる。
世界史を勉強する、というよりも、次戦争が来た時のための参考としての知識を習得するということとして、二度の大戦の様子は最低限知っておいた方がいいことを最近よく感じる。せっかく一年もあるのだから、興味の赴くままに色々なものをあたって吸収していこうと思う。
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